In Episode 5 of “A 10,000-Yen Bill Won’t Fill Your Stomach,” Yugo shares his bitter experience with FX trading — a chapter he’d rather forget. Without studying the fundamentals, he mistook speculation for investment and paid a painful price. This honest account of failure is one every beginner investor needs to read before making the same mistake.
前回のおさらい:「知っている」と「やっている」は別の星の話だった
前回(第4話)、ぼくはFP2級を取得して、お金の全体像をやっと把握することができました。無駄な保険を整理して、毎月の支出をすっきりさせた。あの達成感は本物でした。
でも、肝心の「投資」については、何一つ行動に移せていなかった。本棚には投資の入門書が2冊並んでいたけれど、どちらも半分も読んでいなかった。知識は持っていた。地図だって手に入れた。なのに、一歩も歩き出せなかった。
あのとき動けなかった自分を責める気持ちは、今でも少しあります。でも正直に言えば、「行動できなかった」のではなく、「間違った方向に飛び出してしまった」のが、このあとの話です。
30万円が消えた夜のことを、今でも覚えている
突然ですが、あなたは「FX」と「投資」を同じものだと思っていませんか? かつてのぼくは、完全にそう思っていました。
30代前半のある夜、ぼくは証券口座ではなく、FX業者の口座に30万円を入金した。理由はシンプル。「投資を始めよう」と思って調べたとき、一番最初に目についたのがFXだったからです。レバレッジをかければ少ない元手で大きく動かせる。そのキャッチコピーが、当時のぼくには輝いて見えた。
今思えば、あれは罠の看板だった。でも当時は、それが「投資のスタート」だと信じて疑わなかった。

チャートが頭から離れない。これが「投資」のはずがなかった
FXを始めてから、生活が少しずつ変わっていきました。いや、「変わった」というより「蝕まれていった」と言ったほうが正確かもしれません。
朝、目が覚めたら最初にスマホでドル円のレートを確認する。昼休みも、同僚と話しながら頭の片隅にはポジションのことがある。会議中も、スマホが振動するたびに心拍数が上がる。そして深夜。眠れなくて、布団の中でチャートをスクロールし続ける夜が何度もありました。
妻にはずっと隠していた。「ちょっと調べ物をしているだけ」と言い訳しながら、画面を伏せていた。今から思えば、その「隠す」という行為そのものが、すでに答えだったんです。後ろめたいことを、人は隠す。
「センスがある」という最も危険な思い込み
始めて2週間ほどで、3万円ほど利益が出ました。初めての「勝ち」でした。
あの高揚感は、今でも鮮明に覚えています。3万円。たった3万円なのに、まるで自分が世界の仕組みを解読したような気分になった。「俺には才能があるのかもしれない」。本気でそう思っていた。思い出すだけで恥ずかしいけれど、これが事実です。
その後も、勝ったり負けたりを繰り返すうちに、「自分なりのパターン」みたいなものを見つけた気がしていた。ここで買えば上がる。ここで売れば落ちる。根拠のない自信が、じわじわと積み上がっていった。
でも、それはただの「偶然」だった。いや、もっと残酷な言い方をするなら、「大きく負けるための助走」だった。
損切りができない。「戻るかもしれない」という呪縛
ある日、円が予想外に急騰しました。ぼくはドルを買っていたので、当然ポジションは一気にマイナスに転落した。
そのとき、頭の中に浮かんだのは「損切り」ではありませんでした。浮かんだのは「戻るかもしれない」という、たった一つの言葉です。
損切りのルールは知っていました。本に書いてあった。でも、画面の中でリアルに数字が減っていくのを目の前にすると、指が動かなかった。確定させることへの恐怖。損を「現実」にしたくない心理。それが、ぼくの手を止めた。
結果、損失はどんどん膨らみ、最終的に1回のポジションで約20万円を溶かしました。それまで小さく勝ち積み上げてきた利益はとっくになくなっていた。トータルで見れば、30万円の元手が10万円を切っていた。約3ヶ月の話です。
理論なき行動は、投資ではなくギャンブルだった
FXをやめたあと、ぼくはようやく冷静に自分の行動を振り返りました。
恥ずかしながら、ぼくはFXの基礎理論をまともに勉強していなかった。ファンダメンタルズとは何か。テクニカル分析の本質的な意味は何か。そもそもレバレッジのリスクをどう計算すればいいのか。何一つ、ちゃんと理解していなかった。
「やりながら覚えればいい」という言い訳をしていたけれど、本当のことを言えば、ただ勉強が面倒だっただけです。短期間で稼げると思っていたから、勉強に時間をかけるのが損に感じていた。
でも、これが根本的な間違いだった。理論なき行動は、投資ではない。ギャンブルだ。そして、ギャンブルで長期的に勝てる人間は、ほぼいない。
ゆうごが気づいた、投資とギャンブルの本質的な違い
投資とギャンブルの違いは何か。ぼくなりの答えを言わせてください。
ギャンブルは「相手(市場や他のプレイヤー)が損をすることで自分が得をする」ゼロサムゲームです。FXのデイトレードは、その性質が強い。短期の為替変動は、経済の実態とは関係なく、他の参加者との心理戦になる場面が多い。
一方、長期の株式投資や不動産投資は「経済の成長」に乗っかることができる。誰かが損をしなくても、自分が得をすることができる。これがぼくの考える、投資とギャンブルの根っこの違いです。
もちろん、FXだって理論をきちんと学んで、リスク管理を徹底すれば投資の一形態になり得るとは思います。でも当時のぼくにとっては、完全にギャンブルだった。勉強もせず、感覚だけで相場に飛び込んだのだから、当然の結末でした。
この経験から持ち帰ってほしい、たった一つのこと
この話を読んでいるあなたに、ひとつだけお願いがあります。
「投資を始めよう」と思ったとき、最初に飛びついたものが本当に「投資」かどうか、一度立ち止まって考えてみてください。短期間で大きく稼げると謳うもの。少ない元手で大きく動かせると強調するもの。そういうものには、必ず「相応のリスク」と「相応の勉強量」が必要です。
勉強せずに始めることは、目隠しして車を運転するようなものです。しばらくは運よく走れるかもしれない。でも、いつか必ず壁に突っ込む。ぼくがそうだったように。
勉強してから始める。これが投資とギャンブルを分ける、最初の一線です。
あのFXの失敗が、のちの投資哲学の土台になった
20万円を溶かした夜、ぼくは布団の中で本気で落ち込みました。「なんでこんなことをしてしまったんだろう」と。でも今振り返れば、あの失敗がなければ、今のぼくはないとも思っています。
あの痛みが、「ちゃんと理解してから動く」という習慣を作ってくれた。あの恥ずかしさが、「派手な話には裏がある」という嗅覚を育ててくれた。人生、授業料を払わなければ学べないことがある。ぼくの場合は、その授業料が約20万円でした。
高かったか安かったかは、まだわかりません。でも少なくとも、その授業は確かにぼくを変えました。
📌 この回のまとめ
- 投資とFXを同一視したことが、最初の間違いだった
- チャートに支配された日常は、精神的にも疲弊させる
- 「勝ちパターン幻想」は、大損の前兆である
- 損切りできない心理を理解せずに始めてはいけない
- 理論なき行動は投資ではなく、ギャンブルだ
次回予告
第6話:じゃぶじゃぶ消えた習い事マネー
結婚して、子供が生まれて、今度は別の散財が始まった。
「子供のため」という名目は、財布の紐を完全に緩める魔法の言葉だった。

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